【9.未来の為に、今できることを】

東急線内で見られる「水海道」の表示(大岡山にて)
東急線内で見られる「水海道」の表示(大岡山にて)

 80年代に入り、茨城線や白山連絡線といった新線建設を伴う大規模プロジェクトが一息つくと、常総急行では次なる輸送改善策として、常総線水海道以南の複線化や通勤車両の更新・冷房化を推進した。

 

 これと平行して、沿線において商業施設の誘致・設置や宅地の開発、分譲などを積極的に手がけ、路線価値の総合的な向上に努めた。

 

 また、1985(昭和60)年には前述の通り「つくば万博」を沿線に迎えることとなり、全社を挙げて来場者の輸送に当たった。田端、三ノ輪、船橋、大宮、宇都宮、水戸など、常総急行の広範囲にわたる路線網を生かして、沿線各地から万博会場に向かう臨時列車を運行し、利用者の好評を博した。


 続く90年代には、不況と少子化、そして社会構造の変化により、今まで右肩上がりであった輸送人員が横ばい、ないしは減少に転じた。

 これを受けて常総急行は、常総線水海道以南以外の非電化区間にレールバスタイプの軽快気動車を導入し、これをワンマン化するとともに老朽気動車の多くを駆逐した。

 

 また、都市部においては自動改札の導入や駅施設の改善を、郊外部や支線区においては新駅の開設や駅施設の改善、列車の増発などを積極的に実施し、ソフト・ハードの両面から、多様化する旅客のニーズに応えられる鉄道の構築を図った。

 このように90年代は合理化に追われ続けていた常総急行であったが、白山連絡線の完成から約30年後の2000(平成12)年、かねてよりの懸案であった三田線の南進がようやく実現し、三田-目黒間が開通した。

 これを期に三田線・南北線・東急線・埼玉高速線・常総急行線の5社相互直通運転が開始され、この結果、常総急行の電車が白金高輪、目黒、さらには武蔵小杉へと足を伸ばし、逆に東京都交通局や東急の電車が岩井や水海道にまで姿を見せるようになった。


 この直通運転の開始に合わせて常総急行は、首都圏私鉄の共通乗車カードシステム「ハスネット」に加盟、利便性のさらなる向上を目指した。さらに、2007年には首都圏共通のIC乗車カード「hasmo」にも加盟し、簡易読み取り機を無人駅やワンマン運転の車両に配備することで、常急線全線で「hasmo」が使用可能となった。

 

 また、近年ではJR・私鉄を問わず車両の共通化・標準化が話題となっているが、常総急行においてもこの流れは変わらず、2000(平成12)年の三田線延伸開業に合わせて日立製のA-trainが一斉投入され、在来の直通車は地上線に転じた。

 この後、新型車は改良されつつ毎年導入され、今では常総急行の在籍車両の約半数を占めるまでに至った。

 

 このように輸送の安全と合理化を第一に歩んできた常総急行であるが、21世紀に入ってからの急速な少子高齢化その他の要因による鉄道利用人口の減少は如何ともしがたく、ユニバーサルデザインの取り込みや子ども・鉄道ファン向けイベント、駅ナカビジネスの展開など、利便性の向上を柱とする利用者へのPRと今後の鉄道事業のあり方を模索している最中である。