【車両史 後編】
6.車両大型化(1965-1970)
1000形(21系)及び1500形(22系)の製造を通じて「高性能電車」に対する知見を得た常総であったが、この時期の初期高性能車に共通する諸問題、すなわち、高い電動車比率がもたらす経済性の低下と変電所容量の逼迫が、常総においても問題視されるようになった。
常総においても、1960年代中盤から急速に進行した沿線の都市化は、日を追うごとに輸送状況を悪化させ、一刻も早い輸送改善が望まれていた。
そこで常総では、国鉄101系や東武8000系、相鉄6000系など先行する他社に範をとって、大量増備が可能な経済性と輸送改善に資する大輸送力を兼ね備えた20m級の通勤電車を新規に開発することになった。
その結果、1965年に登場したのが2300形である。
2300形は、1969年の称号規定の改定により23系と称されるようになる。
この車両は、20m4ドアの車体とMT比1:1を基本とし、主要機器の集約化や構体構造の簡略化による経済性の向上を図っている。
また、これまでの常総の設計思想である「運用別の車両設計」から訣別し、各駅停車から急行まで幅広く使用できるような万能車として各所に工夫が施され、一形式での大量増備とそれに伴うコストダウンを企図した。
足回りはメンテナンスに手間のかかる直角カルダン方式を廃し、中空軸平行カルダンに変更となった。これはWN駆動が三菱電機の、TD駆動が東洋電機製造のパテントに属しており、常総の主要発注先である日立では採用しえなかったための措置であった。
23系は、当初の目論見どおり大量に増備され、輸送力増強と旧型電車の淘汰のため、1980年まで製造が続いた。また、23系で確立された設計思想は、爾後の常総における車両設計の基本的な考え方となった。
1972年には、都営6号線直通用として、23系を地下鉄用に改設計した26系が登場している。
通勤車が刷新される一方、長らく旧型車で運行されていた特急車についても、車両取替えを行うことになり、1969年に24系が登場した。
これについては、車体こそ特急車であるが、走り装置は先に登場した23系のそれを高速走行向けに手直ししたのみで、その他主要機器は共通品とし、経済性の向上を図っている。
このように、電車については質量ともに充実していった常総であったが、常総線を初めとする非電化路線の体質改善は遅々として進まなかった。
当時の常総には、毎年のように増加する通勤通学輸送の需要に応えるべく電車を大量増備しなければならない事情があり、気動車を大量に新製するだけの余力がなかったのである。
そこで常総は、ひとまず国鉄のキハ30・35・36系と同型のキハ3000形(のちの84系)の自社発注を行い、国鉄キハ05・07に由来する旧型気動車の駆逐を図った。また、全国各地の私鉄で不要となった気動車を引き取るなど、なりふり構わぬ車両増備が行われた。
その結果、北は北海道の定山渓鉄道から南は滋賀の江若鉄道まで、日本各地の気動車がかき集められ、大手私鉄とは思えない雑多な気動車たちが集まることになった。
7.交直両用車の登場(1970-1980)
1970年に開業を迎えた茨城線には、柿岡地区での地磁気観測に影響を与えないため、交流20000V/50Hzにて電化された区間があり、これに備えて私鉄としてははじめての交直両用電車が製造された。
その結果、誕生したのが51系通勤型電車と52系特急型電車である。
この2形式の製造にあたっては、常総に交直流電車の製造ノウハウがなかったため、主要部分は国鉄403系等を参考にしつつ、駅間が長く高規格路線である茨城線向けに、中高速域での加減速性能と高速性能を向上させている。
8.新世代車両の登場(1980-1990)
オイルショックを契機に、鉄道においても省エネルギー化が叫ばれるようになった。
また、電子技術の発展や新技術の開発により、回生制動をはじめとする省エネルギー技術が、これまでよりも格段に導入しやすいものとなった。
1979年の国鉄201系を嚆矢に、1980年代に入ると、大手私鉄は競って省エネ電車の導入を始める。
常総もその例に漏れず、界磁チョッパ制御に複巻電動機の組み合わせによる省エネルギー電車を製造した。それが27系である。
27系は、省エネルギー化だけでなく、主要機器や構体構造など随所に長寿命、メンテナンスフリー化の工夫をこらしており、経済性と使い勝手にすぐれた車両に仕上がっている。
一方、交流区間においては、引き続き51系のみが使用されていたが、27系の登場により直流電化区間との接客水準の差が顕在化していた。
そこで常総は、27系の車体に51系の足回りを組み合わせ、接客水準を同レベルとした53系電車を投入。交流電化区間の体質改善を図ったものの、交直両用電車ゆえに界磁チョッパの採用は機器の複雑化を招くとして、足回りは従来の抵抗制御のままで新造された。
9.さらなる省エネ化へ(1990-2000)
界磁チョッパ制御や電機子チョッパ制御は、回生制動による高い省エネ性能を誇るものの、そのイニシャルコストおよびランニングコストの高さは、省エネによる経済性をスポイルする結果を招いていた。
そこで、1980年代より一部の鉄道会社ではVVVFインバータ制御と交流誘導電動機の導入によるさらなるメンテナンスフリー化が本格化していたが、1990年代に入ると常総もVVVFインバータ車両の製造に乗り出す。
そこで27系をベースにしつつ、制御装置をVVVF化の上、登場したのが28系、29系、31系電車である。
1988年、まず地上線用の28系が製造され、ついで地下鉄直通対応の29系が登場。
1996年には地上・地下鉄直通両用の31系が登場し、常総の通勤電車の決定版として増備が進められた。
また、特急車においても同様に、陳腐化した24系の置き換え用として、VVVFインバータ制御の30系が製造された。交直両用の特急車についても、陳腐化した52系の置き換え用として、54系が登場している。
一方の気動車であるが、長らく自社発注の82系と国鉄払い下げの84系を主力としつつ、各地から集められた雑多な車両で構成されていた。しかしそのどれもが非冷房であり、非力で燃費の悪い旧型機関を搭載していたことから、利用者・現場の双方に不評であり、これら旧型気動車の置き換えは喫緊の問題であった。
そこで常総は、当時富士重工業が製造し、各地の第三セクター鉄道に導入されていたLE-DCの採用を決定。冷房装置と新型の直噴機関を搭載した新世代気動車として、通勤用の85系を常総線に、汎用車の86系を筑波・鉾田・龍ヶ崎の各線に配備した。
85系についてはLE-DCを基本に、3ドアロングシートの通勤型車両として竣工。86系は投入線区の実情に合わせて細やかな仕様変更が行われた。
すなわち、乗車時間が短く、沿線にニュータウンや大学を抱える竜ヶ崎線にはロングシート車が、観光客の利用の多い筑波線にはセミクロスシート車が、閑散線区ではあるがラッシュへの対応も必要な常総線水海道以北や鉾田線にはロング・クロスシートを千鳥配置した車両がそれぞれ投入された。
10.車両標準化思想(2000-現在)
2000年代に入ると、JR・私鉄を問わず、車両設計の共通化・標準化が行われるようになった。
常総では新世代車両として日立製作所の「A-train」を導入。
直流通勤車として32系、交直両用車として55系がそれぞれ登場し、旧式化した23系・51系の淘汰が開始された。
その後、「A-train」は特急車にも採用され、直流用は33系、交直両用として56系が登場している。