【宇都宮線 その1(白山-八潮)】

夜の動坂駅
夜の動坂駅

 都営三田線・白山(はくさん)駅。
 道幅の狭い旧白山通りの直下に、苦心の末築かれた、2面4線のこの地下駅は、都営三田線の途中駅であると同時に、常総急行の起点駅である。当駅の都心方には引上げ線が設けられており、早朝・深夜を中心に常急線および西高島平方面から当駅折り返しの電車が運行されるほか、車両の深夜留置も行われている。

 さて、電車は白山駅を発車すると、宇都宮線の地下区間(通称・白山延長線)へと歩みを進める。
 そのトンネルの途中にあるのが、かつてのターミナルである道坂(どうざか)駅。今でこそ対向式2面2線の何の変哲もない地下駅になっているが、かつてはここから都電に乗り換えることで上野や大塚などへ行くことができた。今は都電の代わりに都バスが地上を走っているが、乗換駅としての地位は失われたに等しく、かつての栄華をしのばせるものは、地下駅への入り口へと変わった、3階建ての旧駅舎ぐらいしかない。

田端駅 常急線ガード下
田端駅 常急線ガード下

 道坂駅を後にすると、トンネルはすぐに切り通しへと変わり、地上時代の道坂駅へのアプローチ線を流用した引上げ線を上下線が挟み込むと、まもなく常急線随一のターミナル・田端(たばた)駅へと至る。3面3線と比較的狭隘な駅であるが、毎日8万人以上の乗降客をさばいている。


 田端駅は、JR山手線・京浜東北線との接続駅、いわば「都心側のターミナル駅」というポジションにありながら、駅周辺に「繁華街」というものを擁しておらず、むしろ乗換結節点としての重要度のほうが高い。これはちょうど、近隣の京成日暮里駅と同じような立場である。日暮里駅で京成電車から降りた乗客の多くがそうするように、田端駅で常急線から降りた乗客の多くも、改札口を出ることなくそのままJR線に乗り換え、池袋や上野・東京方面へと向かう。


 田端を発車後、常急線は高架でJRの田端運転所を乗り越す。今でこそ眼下には電気機関車や新幹線がたむろしているが、その昔は蒸気機関車がたむろしており、電車運転であるはずの常急でも、この高架線に差し掛かった時だけは乗客がこぞって窓を閉めたというエピソードも残されている。この高架線は、荒川放水路を渡る鉄橋まで続く。

下尾久駅構内
下尾久駅構内

 田端の次は赤土(あかど)駅。各駅停車しか停まらない小さな駅で、駅周囲は住宅と中小企業の工場が混在する下町である。その次は下尾久(しもおぐ)駅。都電荒川線と連絡している。

 

 下尾久駅を過ぎ、ガーター橋で隅田川を渡ると、息つく間もなく荒川放水路を一跨ぎにする巨大なワーレントラス橋が現れる。すぐ西隣には道路橋である扇大橋が架かっており、その歩道からは、鉄橋を渡る電車を間近で観察できる。

 荒川鉄橋を渡って首都高速・中央環状線をくぐると、線路はすぐに地上に降りて進路を北東にとる。電車は足立区の住宅密集地の中をかき分けるように突き抜けて、2面4線の構内配線を持ち、緩急接続が可能な本木(もとき)駅を過ぎ、再び築堤を登る。築堤を登った先、東武線と交差する地点が西新井(にしあらい)駅。

 朝夕は当駅で東武線・常急線を相互に乗り継ぐ乗客が多く、混雑は相当のものがある。一時期、常急では当駅の混雑緩和のために、朝ラッシュ時の上り急行の半数を「通勤急行」と銘打ち、当駅をあえて通過させていたほどである。現在、通過扱いはなくなっているが、今でも古い車両の種別幕などに「通勤急行」の文字を見ることができる。

 かつては日比谷線=銀座方面、都営三田線=大手町方面という棲み分けが出来ており、必然的に常急⇒日比谷線や東武⇒都営三田線という乗り換え需要があったが、東武が半蔵門線と直通運転を開始してからは、東武から大手町方面へもダイレクトで行けるようになったため、当駅の混雑は幾分解消されたという。

花畑駅構内より八潮方を見る
花畑駅構内より八潮方を見る

 電車は西新井を出発すると、環七通りをオーバークロスし、再び地上レベルに降りる。
 六月(ろくがつ)という不思議な名前を持つ駅を過ぎると、次は花畑(はなはた)という、いささかロマンチック(?)な名前を持つ駅に到着する。かつてここには車両工場があったが、車両の大型化・長大化に伴い手狭となったため、今は留置線が残るのみである。駅そのものは2面4線の配線で、緩急接続が可能。急行は通過するが、準急が停車する。また、都心方面からの最終電車は、当駅が終着である。

 大曽根(おおぞね)駅はかつてはだだっ広い田んぼの中の小駅であったが、昭和30年代から40年代にかけて住宅公団が駅周辺に大規模な団地を造成し、今では団地に囲まれている。
 

 

 その団地群が途切れ住宅地に変わり、南東から複線の線路-すなわち葛飾線が合流すると八潮(やしお)駅。元は武州八幡(ぶしゅうやわた)と名乗っていたが、昭和30年代の自治体合併(八幡、八條、潮止の各村が合併)に合わせて駅名も改称した。駅周辺はマンション・アパート、一戸建て住宅が混在する近郊型の住宅地となっている。田端駅(=山手線)から急行で15分ほど、都営三田線や東武線(=日比谷線)とのアクセスも良好なため、当駅周辺の住宅地は若年世代を中心に人気が高い。