【宇都宮線 その2(八潮-野田市)】

彦成駅から道庭駅方向を見る
彦成駅から道庭駅方向を見る

 電車は八潮駅を出発すると、引上げ線で休む葛飾線の電車を横目に見つつ、やがて中川を渡って三郷市に入る。線路は、この路線がかつて水運の代替として建設されたことを物語るかのように中川沿いに北へ進路を取る。

 

 頭上を外環道が乗り越すのを見送ると、対向式ホームを持つ彦成(ひこなり)駅に到着する。この辺りは昭和40年代から急速に開発が進んだ近郊住宅街であり、それまではのどかな田園地帯であった。

 

 同じく住宅街の中にある道庭(どうにわ)駅を過ぎ、行く手の頭上をコンクリートの高架線が横切るのが見えると、武蔵野線との交差駅・南吉川(みなみよしかわ)駅に到着。南北方向と東西方向の鉄道路線の交点らしく、終日、乗り換え客でにぎわっている。

吉川市内に残る運河跡と満開の桜
吉川市内に残る運河跡と満開の桜

 南吉川駅を発車すると、電車は続いて2面4線の吉川(よしかわ)駅に滑り込む。

 駅前には金のなまずのオブジェクトが展示されており、この吉川という土地が、川を中心に栄えた街であることを物語っている。

 

 中川と江戸川に挟まれた土地柄、かつて水運の要だった街は、今日、常急線と武蔵野線の交差する交通の要にその姿を変えた。駅前には飲食店や遊戯施設、書店などの商業施設が立ち並び、駅から少し離れたところには大規模な団地が造成され、マンションが林立している。

江戸川を渡り千葉県へ
江戸川を渡り千葉県へ

 吉川を発車すると、線路は再び北東に進路を向ける。それと同時に、次第に車窓は住宅と田園が混在するようになる。

 

 次の南広島(みなみひろしま)駅界隈は、いにしえは江戸川(荒川)の流路だったと言われており、肥沃な土地は長年に渡り田園として使用されてきた。市街地化は駅周辺から徐々に進んでいるとはいえ、駅ホームからもまだまだ田園が目につき、江戸川の堤防まで見渡せる。

 

 南広島の駅前ロータリーからは、近隣の鉄道空白地帯である松伏町への路線バスが発着している。電車は南広島駅を出発すると、田んぼの中をぐんぐん速度を上げつつ築堤を駆け上ってゆく。築堤の先に江戸川橋梁が続く。電車はガタゴトと橋を渡り、千葉県に入る。

野田市駅からも見える醤油工場
野田市駅からも見える醤油工場

 川を渡ってすぐ、築堤上に位置する今上(いまがみ)駅は、駅前に醤油メーカーの工場がそびえ立っており、この路線のもうひとつのルーツを思い起こさせる。

 

 築堤を下り、左、左へと少しきつめのカーブを曲がると、右から複線の野田線が合流し、常総急行創業の地である野田市(のだし)駅に到着する。都営三田線からの直通列車は、ここで半数が都心方面へ折り返す。

 

 野田は醤油の産地として江戸時代より栄え、今でも街中に醤油の香ばしい匂いが漂うことがある。しかしながら、ここでも都市化の波が押し寄せ、市内各所に点在していた醤油の工場は集約され、工場の跡地にはマンションが建つようになった。